2008年8月18日 (月)

好きだからしんどい

誰かを好きでたまらない

そんな時しんどくなるのはなぜなのか

手に入れたい、ずっと一緒にいたいと思うけどそうできないやるせなさがそうさせるのか

時に、やるせなさは自分へのふがいなさに変わる

そん時は、しんどい。

それ以外に、説明のしようがないしんどさがある。

それは、単純に誰かを想い、純粋に愛しいと思う気持ちがどんどん独り歩きして大きくなるときである。

そのとき、もやがかった何かが胸の中心から綿菓子のようにふくれ、息が詰まるくらいに飛び出そうとしてくるその感覚をしんどいと定義するならばの話である。

いったい全体こいつは何者なのか。

そいつを追い出すためには、住処とされた体を締め上げないと出て行かないような感じである。

そんなやっかいな綿菓子も、一人になって落ち着いて見るスポーツやバラエティ番組が、すっかり食べ尽くしてくれて芯だけになり、そして、自分でも気付かないうちにその芯もどこかに落としてなくなっている。

正体はわからないけど、甘味を残して喉の渇きを覚える点は綿菓子そのものである。

2008年8月 9日 (土)

memo

ぜーんぶただのメモ。

引用:竜馬がゆく(五)~(六);司馬遼太郎;文春文庫

理屈は、行動しつつ、あるいは行動したあとで考えるのだ。

暴は、ついには暴しか呼ばない。

天王山は、京と大坂をむすぶ淀川ぞいにうずくまっている。標高は二七〇メートルにすぎぬ小山だが、歴史的にこれほど高名な山もない。遠く天正十年のむかし、明智光秀と羽柴秀吉とがこの戦術的な高地をうばいあってついに秀吉がおさえ、山城山崎合戦を勝利に導いたことで、名がある。勝負のやまばのことを、「いまが天王山」というのはここからうまれた。

こばごまとした議論よりまず玉をとることだ

「人類のことのみを考えている」といえば、多くの場合、多少のうそがまじる。人類とは、まだまだ抽象概念の域を超えないからである。

命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末にこまるものなり。この始末にこまる人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬものなり

「気の弱きは善多く、気の強きは悪多し」

竜馬は「大奸智・無欲の人」たらんとし、西郷は「大至誠にして欲を去ろう」とした。

<参考:奸智・・・悪いことを考えだす知恵。悪知恵。 至誠・・・きわめて誠実なこと。また、その心。まごころ。>

男女の情とは、おかしい。攻撃すればするほど、愛憐の情が、胸に満ちてきて、やる瀬ないまでになっている。

心づくしという言葉がある。茶道の言葉である。「人をもてなす心のはたらき」という意味であろう。

金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ

陸奥陽之助が竜馬の横で、鼻毛を抜いては一本ずつ、懐紙の上に植えている。「どうです」とうれしそうにそれを見せた。生意気なようでも、まだ年相応の子供っぽさがある。「なるほど、野山のようだな」と、竜馬はうなずいてやった。

すべて人というものは艱難のときには一致団結して共にすることができるが、富貴は共にすることができぬ。きっと仲間割れがおこる。

怒っている相手にいっても仕方がないさ

世のことは偶然を期待してはいかん。

志操さえ高ければ、商人のまねをしてもかまわない。むしろ地球を動かしているのは、思想ではなくて経済だ

男は喧嘩をするという大勇猛心をもっておらねば、いかに名論卓説を口にしていても、ひとは小才子としか見てくれぬぞ

丸山は、江戸の吉原、京の島原とならんで日本三大遊里のひとつにかぞえられたところである。

武術の気合というのは、蛇が蛙にのぞむような一種動物的な感作で、一瞬、相手は催眠状態になる。そこを蛇ならば襲い、武術ならば撃つ。

人の運命は九割は自分の不明による罪だ。

事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。

年上の人を相手に猥談をしちゃならん

猥談の節度がかんじんだ、その節度の感覚のある男ならなにをやっても大事を成せる男だ、わしのみるところ西郷は達人だな、と妙なことで西郷をほめた。

人間関係はカラリとしたほうがいい

古来、英雄豪傑とは、老獪と純情のつかいわけのうまい男をいうのだ

2008年7月29日 (火)

ぶつぶつ

不思議なことは起こってほしいけど、こわいことは起こってほしくない。

2008年7月28日 (月)

不安定要素

はじまりと終わりを明確に求めがちな僕は

悩む。

ふと。

不幸は自分以外のものと比べることから始まる。

という気がした。

2008年7月27日 (日)

きょうのTOEIC にMONKU

きょうのTOEIC<br />
 にMONKU
TOEICまじでなくなったらいいねんって
まず会場の場所。
駅から遠いねん。バス乗って歩かせて。技術○○大学ってどこやねん!今通ってる大学が受験地としてあるんやからそれくらい考慮しろよ。申し込むときに希望聞くとか。
次に会場の環境。
今時、CDラジカセでリスニング流すな。ラジオ体操しに行ってんちゃうぞ。極めつけは音飛び。何回、同じ問題番号聞かなあかんねん。DJトエイックか。全然ノられへんっつーの。
しかも最後出てきた会場責任者のお詫びの説明がありえん。
「今回、音トビが問題番号のところで何回かあったと報告を受けましたが、どなたか直接問題に影響があった方はいらっしゃいますでしょうか…
ブラブラブラ
…」
そんな心のこもってない説明・謝罪するんやったら早く帰らせろっつの。
んでよく机の上のラジカセ見たら、電源を延長コードで取ってるのはいいけど、長さギリギリで延長コードのコンセント部分浮いてるし。
んで最後に「ご協力ありがとうございました。次回もよろしくお願いします」って言われて。それは、今回のことは口外しないでくださいってこと?協力ってなんやねん。協力させてくれるんやったら、長い延長コードやらスピーカーやら持っていきます。

2008年7月11日 (金)

ひいきと思いやり

相手を思いやるという作業には、ひいきする心が居座る。

相手を思えば思うほど、無条件に、そして激しく、ひいきして。

そんな中、どれだけ相手を正確にわかっているというのか。

そうやって、ひいきと疑心のスパイラルに陥る。

心のやすらぎ

あなたの心のやすらぎは何ですか?

僕はよく、この世の中で一番大事なものは心のやすらぎなんじゃないかと思うことがあります。

だから、極論した時には、肉体は所詮一時的なもので大事ではないという見解です。

それならば、なにも考えずに、心のやすらぎを求めるべきなのかもしれません。

こんなこと思っていても、それも不確かで、結局は、そう思い込めた者が勝つのかもしれません。

では、一番の心のやすらぎを得る行動に移せないのは、なぜなのでしょうか。

徹底して精神を第一に思う主義でいたいのに。

それは、行動に移せたとしても、この世にはうまくいかない事が多いから。

それか、つい人はうまくいかない事を願ってしまうからなのかもしれません。

結局は、精神を第一に思うが故に引き裂かれる。

人間の精神なんていうものは、世のカルマには逆らえないのか。

真の心のやすらぎとは。

ぼくは、まだそれを知らないんだと思いたい。

ぼくはカルマを背負う。

2008年6月29日 (日)

自分の表情

どんなハプニングにもドギマギすることなくいたいと思っている。

一昨日、ツタヤでCDとDVDを借りようとレジに持って行った。

レジでは、実習生と書かかれた名札をつけている女の子がいた。

別に何の変哲のない普通の女の子。

僕はその名札から視線を外し、CD5枚レンタル¥1,000のケータイクーポンを見せるためにケータイ画面を見た。

その店員さんはしっかりと1枚ずつバーコードを読み取って、最後に「○○円ポイントが貯まってますので使いますか?」と尋ねてくれたので、お願いした。

会計は千円と少しで僕は5000円とその少しの端数の小銭を出した。

そして、その店員さんのまだ慣れないけれど最良と思われる笑顔で見送られて店を出た。

いつも僕は、懸命に働いている人を見ると心が洗われる思いがする。

すぐ人を尊敬してしまう単純な人間だ。

ツタヤを出てすぐ、カレーの物凄いいい匂いに誘われて、ココ壱に入った。

絶対、必要以上にカレーの匂いを店から外に出してると思われる。

ココ壱で働けば、そこんところの営業努力の裏側はわかるかもしれない。

カウンターに座り、期間限定の「チキンと夏野菜カレー」を注文した。

期間限定と聞けば、つい試したくなって食いつくところも単純である。

いや、それは、前衛的なのかもしれない。

でも、ご飯の量と辛さはいつも「普通」。

そんなところは保守的だ。

チキンと夏野菜カレーの味は、ちょいぴり辛で、新鮮と思われる野菜(なす、トマトなど)の甘さが引き立ってこれがめちゃくちゃ美味い。

で会計で780円を払うときに財布の中の異変にやっと気付いた。

千円札で払おうと思ったが、千円札がないのである。

さっき千円札がないから5千円札出したのに、千円札が・・・。

ココ壱でのお会計を済まし、ツタヤに戻る時、

おれが金持ちやったら、もう4千円くらいいいのにな。なんでおれ金持ちじゃないねん!そりゃ学生やからな。なんて考えながら、家庭教師のバイトを解雇された僕にとって4千円はそんな簡単に諦めるべきものでないという答えはもう出ていた。

ツタヤに戻り、お金に執着することが嫌いな僕は、上質な客を装い、丁寧な口調でお釣りの件を伝えて、確認してもらった。

社員と思われる人を含めて3人がかりでレジ内のお金を勘定してる中、僕を担当してくれた実習中の女の子は、その横にいて、僕に気付き、みるみる不安になっていくのがその子の表情から窺える。

その店員の女の子への同情心や罪悪感と、お金のことでカウンターを煩わせているという恥ずかしさで非常にめんどくささを感じ、一刻も早く立ち去りたいと僕は思う。

それでもあくまで、上質な客を演じてしまうのは、意思が弱いからなのか、人がいいからなのかわからない。

結局、ぼくの財布に4千円が返ってきた。

この騒動の後その店員の女の子が怒られるのをできるだけ軽減するために、ぼくがお釣りを確認してたら良かったのだということと僕は決して怒ってないということを笑顔をもってなんとなしに伝えてツタヤを後にした。

この一連の出来事の中で、どれだけ自分が冷静に余裕を持っていられたのかとても気になった。

僕の最大限の余裕が100%だったら、きっと30%くらいにまで陥った瞬間があったと思う。

その瞬間の自分の表情が見れたら、もっと余裕度が上がると思う。

きっとその表情を自分で見れば、噴き出して笑ってしまうし。

自分が今どんな表情をしているのか想像することは、冷静さを取り戻したい時には、とても効果的である。

2008年6月26日 (木)

今日の電車の座席シート

うわ意外と硬っ

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