カテゴリー「生きる」の13件の記事

2009年4月20日 (月)

へいへいぼんぼん

人はその人にとって”あたりまえの”人生を歩む。

なぜ”あたりまえ”なのかは、人生から得てきた感じ方を持って、送っている自分の人生を自分で振り返ると”あたりまえ”だと感じるから。

というより、結局はそうゆうふうにしか生きれない(かった)から。かな。

だから、ばくは、ぼくの人生に飽き飽きするときがある。

”あたりまえ”が誰かにとっては特別であったり、ぼくにとっても幸せで、愛おしいのだけれど。

現状にこれでいいのか?

って反問する。

でも、結局はこうゆうふうにしか生きれない(かった)から反問はそこでおしまいになって。

僕は正直に生きている?

僕は正直に生きてきた?

この人生はぼくが望んだもの?

望んでなんかないか。

今までで望んだものといえば、ぼくにとって大切な人が”あたりまえに”過ごせること、くらいのような気がする。

望んで簡単に”あたりまえ”が得られるもんじゃない。

病気したり、苦しんだり、悩んだりするし。

だから、大切な人のそれだけは望んできた。

すでにへいへいぼんぼんである”あたりまえ”のぼくはとても運がいいのだ。

なんしかぼくはラッキーボーイなのだ。

へいへいぼんぼんばんばんざいなのだー。

2009年3月16日 (月)

命がけ

命がけで生きたいのに。

ぜんぜん正反対かも。

一体全体なにをどうしようか。

可能性が無限なのか、今の自分が限りなく無なのか。

とりあえず

Everything is gonna be alright.

他人が落ちることで得る余裕と安心感

自分の中に、他人の不幸を願う自分がいたりする。

いつからこうなったのか。

昔からではないと思う。

他人と自分とのかかわりから、自分のいる環境を無難なものにしようとしてしまったときから。

悲観も楽観もなく、自分や自分以外のものに執着しないで、自分を評価できているだろうか。

そのような状態なら、自分を評価するなんて必要ないのかな。

何にも惑わされない強い余裕をもちたい。

2008年12月14日 (日)

その先に

試練、苦悩の先に成長はある
どんな苦悩がこの先にまちかまえているのか
神様は乗り越えられない苦悩なんて与えない
どんな形であれ救済は訪れる
将来を憂うことなかれ
STAR IS SHINING TO US

2008年10月31日 (金)

多様性

人はさまざまな壁に突き当たり

考えや感じ方が多様化していく。

それが成長といってもいい。

ただ自分の場合、成長への意欲はあっても、多様化への意欲はない。

このような多様化による感情量の増加がこの身体の容量を超えてしまいそうでこわい。

2008年7月28日 (月)

不安定要素

はじまりと終わりを明確に求めがちな僕は

悩む。

2008年6月29日 (日)

自分の表情

どんなハプニングにもドギマギすることなくいたいと思っている。

一昨日、ツタヤでCDとDVDを借りようとレジに持って行った。

レジでは、実習生と書かかれた名札をつけている女の子がいた。

別に何の変哲のない普通の女の子。

僕はその名札から視線を外し、CD5枚レンタル¥1,000のケータイクーポンを見せるためにケータイ画面を見た。

その店員さんはしっかりと1枚ずつバーコードを読み取って、最後に「○○円ポイントが貯まってますので使いますか?」と尋ねてくれたので、お願いした。

会計は千円と少しで僕は5000円とその少しの端数の小銭を出した。

そして、その店員さんのまだ慣れないけれど最良と思われる笑顔で見送られて店を出た。

いつも僕は、懸命に働いている人を見ると心が洗われる思いがする。

すぐ人を尊敬してしまう単純な人間だ。

ツタヤを出てすぐ、カレーの物凄いいい匂いに誘われて、ココ壱に入った。

絶対、必要以上にカレーの匂いを店から外に出してると思われる。

ココ壱で働けば、そこんところの営業努力の裏側はわかるかもしれない。

カウンターに座り、期間限定の「チキンと夏野菜カレー」を注文した。

期間限定と聞けば、つい試したくなって食いつくところも単純である。

いや、それは、前衛的なのかもしれない。

でも、ご飯の量と辛さはいつも「普通」。

そんなところは保守的だ。

チキンと夏野菜カレーの味は、ちょいぴり辛で、新鮮と思われる野菜(なす、トマトなど)の甘さが引き立ってこれがめちゃくちゃ美味い。

で会計で780円を払うときに財布の中の異変にやっと気付いた。

千円札で払おうと思ったが、千円札がないのである。

さっき千円札がないから5千円札出したのに、千円札が・・・。

ココ壱でのお会計を済まし、ツタヤに戻る時、

おれが金持ちやったら、もう4千円くらいいいのにな。なんでおれ金持ちじゃないねん!そりゃ学生やからな。なんて考えながら、家庭教師のバイトを解雇された僕にとって4千円はそんな簡単に諦めるべきものでないという答えはもう出ていた。

ツタヤに戻り、お金に執着することが嫌いな僕は、上質な客を装い、丁寧な口調でお釣りの件を伝えて、確認してもらった。

社員と思われる人を含めて3人がかりでレジ内のお金を勘定してる中、僕を担当してくれた実習中の女の子は、その横にいて、僕に気付き、みるみる不安になっていくのがその子の表情から窺える。

その店員の女の子への同情心や罪悪感と、お金のことでカウンターを煩わせているという恥ずかしさで非常にめんどくささを感じ、一刻も早く立ち去りたいと僕は思う。

それでもあくまで、上質な客を演じてしまうのは、意思が弱いからなのか、人がいいからなのかわからない。

結局、ぼくの財布に4千円が返ってきた。

この騒動の後その店員の女の子が怒られるのをできるだけ軽減するために、ぼくがお釣りを確認してたら良かったのだということと僕は決して怒ってないということを笑顔をもってなんとなしに伝えてツタヤを後にした。

この一連の出来事の中で、どれだけ自分が冷静に余裕を持っていられたのかとても気になった。

僕の最大限の余裕が100%だったら、きっと30%くらいにまで陥った瞬間があったと思う。

その瞬間の自分の表情が見れたら、もっと余裕度が上がると思う。

きっとその表情を自分で見れば、噴き出して笑ってしまうし。

自分が今どんな表情をしているのか想像することは、冷静さを取り戻したい時には、とても効果的である。

2008年6月22日 (日)

逆説

世の中全部逆説で成り立ってるんじゃないかって思うときがある

例えば、すごい何か成し遂げたいことがあって強くそれを思っても、その強く思う気持ちは強ければ強いほど、苦しみが増えたり、柔軟さを奪って、成し遂げたいことを邪魔する

恋愛だって。

夢もそう。

何かを叶えるには、強く思う気持ちが必要ってことは確かだけど、

そんなきれい事ばっかり広まっていってしまっているような気がする。

実際は、”自然に”その叶えたい事に向き合うことのほうが重要なんだと思う。

それぞれのその人なりの距離感で、方法で、タイミングでやってくことの方が。

いろんな現実の中で、たくさんの人が苦しんで、挫折してるんだと思う。

僕もそんな一人として、共感して、願うしかできなくて、

いっちょ前にみんなを励ます気持ちだけあって。

まぁそれもひとつの自分なりのひとつのかたち。

みんなそうゆう風に思えば世界も少しは良くなるんじゃないかなんても考えない。

これは、単純に僕なりの世界との向き合い方。

みんなには、みんなのもっといい世界が広がっている。

2008年6月 8日 (日)

本質と現実

本質を追求しすぎると話が飛躍しすぎたりわかってもらえなかったりで、かえってうまくいかない

現実はほとんどが本質にたどりつくことができず、本質に近づくためには簡潔な具体的な行動によってのみである

のらりくらりと生きるべし

2008年6月 1日 (日)

果たして何のために生まれてきたのだろうか
こんなことを考えること自体不毛なことなのだろうか
生きることに意味があって
考えることに意味があって
笑って泣くことに意味があるのかな
家族、好きな人を幸せにすることが僕の人生?
社会に貢献すること?
自分を向上させること?
人生の意味合いを具体的に考えていくと
すごく切ない
だってなんにもできてない
でも、全部が少しずつでよくって
そういった全部が人生になっていく

2008年5月15日 (木)

思いcommitmment

思い込みは人間の性(さが)である。

真実にいつも追いつけないものだから、

人間は思い込むほかない。

思い込みは多面体の形をして、潜んでいる。

思い込みから何かが始まることもあり、

commitment

1 [U][C](…への)かかわり合い, 参加, 傾倒((to ...));現実参加(作家の政治発言・行動など

思い込みは、悲しい間違いを生むこともある。

commitment

2 [U][C](罪・過失を)犯すこと, 犯行

入れ込めば、必ずそこに責任は生じる。

commitment

3 (…の)誓約, 約束, 公約((to ...));(…するという)言質(げんち)((to do));義務, 責務, 責任;債務

思い込みの危険性は、大きい。

誰かに何かを思い込ませることも、それだけで責任が生じるものだとも僕は感じる。

けれど、思い込みが希望を見出してくれる。

そして、思い込みが深ければ深いほど、情愛も深くなるのではないかと思う。

思い込むことを恐れず、何事にもcommitしていけばいい。

間違いだったら、すぐに改めればいいんだから。

2008年5月 7日 (水)

ブログで落ち着く

ゴールデンウィーク遊びまくった

岩盤浴、卓球、ピザパーティ、セパタクロー的なもの、キャッチボール、ストラックアウト的なもの、ボーリング的なもの、ドッジボール、バドミントン、散髪、飲み、買い物、ビリヤード、焼肉

病的やな

遊んでるときは、軽快な気持ちで過ごすことになる

友達の面白発言にいつでも突っ込めるように軽快に

ぼそっと面白いことを言えるように軽快に

もちろん楽しい

遊び終わって帰路に着くときには完全にOFFになる

帰ってきてもまだテンションが下がらないときも、あえてOFFにする

OFFにして、心を落ち着かせ、自分に入っていかないといけない気がする

悲しくて落ち込む時の感じと少し似ているのかも(そんな陰じゃないけど)

そうしないと、自分がうすっぺらいものになってしまうのではないか、

表向きの快楽の反動で、良くないしわ寄せがくるんじゃないかと恐れる

そうしないと、自分がばらばらになったまま自分が見当たらなくなる気がするから

そうすると、安心するし

歪んだものを修正できた気がするし

自分の核を再認識できる

普段から自然体でいることを心がけているけど、

自分とは違う人と接するのだから(いくら友達でも)

真の自然体ではいられない(おれはね)

真剣に生きていかないと落ち着かない自分を見て

まじめやなぁー!と自分でビックリもしてみる

まじめやから、めちゃくちゃ遊んだ自分に対してもさっきまでなんかいらついてた(笑)

だから芸人とか俳優ってすごいよなーって思う

遊んで遊んで遊びまくって風格とか雰囲気とかにじみ出るみたいなとこあるみたいやし

勝新太郎とか石原裕次郎とかさまぁーずとか(遊びにもいろいろあるけど)

なんかいろいろ話とんだけど、外の世界ではしゃいだり、笑ったり、いらついたり、

悲しんだり、自分の世界に入っていったり、

ぜんぶ必要よな?

2008年5月 5日 (月)

実証実験

僕は大事な決断に迫られるとき、自分が死ぬ間際を思い浮かべ、

そのときに後悔しないと思える選択肢のほうを選ぶ。

その選択肢を選んだ結果、苦しむことになって、後悔をすることがあった時には、

「自分はその瞬間の自分において、最善の選択だったんだ。仕方ない。」と思う。

そして、それで生じた後悔は一時的な後悔であると考えている。

(すごい冷めたこと言ってるけど、そん時はすんごい落ち込む。)

everythig is gonna be all right

大きな後悔とは、自分に問いかけず、大事な決断をしたときしか訪れない。

こんな考えは、これから先いろいろな経験をすることで、変わってしまうこともあるのかな。

この実証実験は、死ぬまで続く。

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