memo
ぜーんぶただのメモ。
引用:竜馬がゆく(五)~(六);司馬遼太郎;文春文庫
理屈は、行動しつつ、あるいは行動したあとで考えるのだ。
暴は、ついには暴しか呼ばない。
天王山は、京と大坂をむすぶ淀川ぞいにうずくまっている。標高は二七〇メートルにすぎぬ小山だが、歴史的にこれほど高名な山もない。遠く天正十年のむかし、明智光秀と羽柴秀吉とがこの戦術的な高地をうばいあってついに秀吉がおさえ、山城山崎合戦を勝利に導いたことで、名がある。勝負のやまばのことを、「いまが天王山」というのはここからうまれた。
こばごまとした議論よりまず玉をとることだ
「人類のことのみを考えている」といえば、多くの場合、多少のうそがまじる。人類とは、まだまだ抽象概念の域を超えないからである。
命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末にこまるものなり。この始末にこまる人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬものなり
「気の弱きは善多く、気の強きは悪多し」
竜馬は「大奸智・無欲の人」たらんとし、西郷は「大至誠にして欲を去ろう」とした。
<参考:奸智・・・悪いことを考えだす知恵。悪知恵。 至誠・・・きわめて誠実なこと。また、その心。まごころ。>
男女の情とは、おかしい。攻撃すればするほど、愛憐の情が、胸に満ちてきて、やる瀬ないまでになっている。
心づくしという言葉がある。茶道の言葉である。「人をもてなす心のはたらき」という意味であろう。
金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ
陸奥陽之助が竜馬の横で、鼻毛を抜いては一本ずつ、懐紙の上に植えている。「どうです」とうれしそうにそれを見せた。生意気なようでも、まだ年相応の子供っぽさがある。「なるほど、野山のようだな」と、竜馬はうなずいてやった。
すべて人というものは艱難のときには一致団結して共にすることができるが、富貴は共にすることができぬ。きっと仲間割れがおこる。
怒っている相手にいっても仕方がないさ
世のことは偶然を期待してはいかん。
志操さえ高ければ、商人のまねをしてもかまわない。むしろ地球を動かしているのは、思想ではなくて経済だ
男は喧嘩をするという大勇猛心をもっておらねば、いかに名論卓説を口にしていても、ひとは小才子としか見てくれぬぞ
丸山は、江戸の吉原、京の島原とならんで日本三大遊里のひとつにかぞえられたところである。
武術の気合というのは、蛇が蛙にのぞむような一種動物的な感作で、一瞬、相手は催眠状態になる。そこを蛇ならば襲い、武術ならば撃つ。
人の運命は九割は自分の不明による罪だ。
事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。
年上の人を相手に猥談をしちゃならん
猥談の節度がかんじんだ、その節度の感覚のある男ならなにをやっても大事を成せる男だ、わしのみるところ西郷は達人だな、と妙なことで西郷をほめた。
人間関係はカラリとしたほうがいい
古来、英雄豪傑とは、老獪と純情のつかいわけのうまい男をいうのだ


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