カテゴリー「本」の2件の記事

2008年8月 9日 (土)

memo

ぜーんぶただのメモ。

引用:竜馬がゆく(五)~(六);司馬遼太郎;文春文庫

理屈は、行動しつつ、あるいは行動したあとで考えるのだ。

暴は、ついには暴しか呼ばない。

天王山は、京と大坂をむすぶ淀川ぞいにうずくまっている。標高は二七〇メートルにすぎぬ小山だが、歴史的にこれほど高名な山もない。遠く天正十年のむかし、明智光秀と羽柴秀吉とがこの戦術的な高地をうばいあってついに秀吉がおさえ、山城山崎合戦を勝利に導いたことで、名がある。勝負のやまばのことを、「いまが天王山」というのはここからうまれた。

こばごまとした議論よりまず玉をとることだ

「人類のことのみを考えている」といえば、多くの場合、多少のうそがまじる。人類とは、まだまだ抽象概念の域を超えないからである。

命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末にこまるものなり。この始末にこまる人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬものなり

「気の弱きは善多く、気の強きは悪多し」

竜馬は「大奸智・無欲の人」たらんとし、西郷は「大至誠にして欲を去ろう」とした。

<参考:奸智・・・悪いことを考えだす知恵。悪知恵。 至誠・・・きわめて誠実なこと。また、その心。まごころ。>

男女の情とは、おかしい。攻撃すればするほど、愛憐の情が、胸に満ちてきて、やる瀬ないまでになっている。

心づくしという言葉がある。茶道の言葉である。「人をもてなす心のはたらき」という意味であろう。

金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ

陸奥陽之助が竜馬の横で、鼻毛を抜いては一本ずつ、懐紙の上に植えている。「どうです」とうれしそうにそれを見せた。生意気なようでも、まだ年相応の子供っぽさがある。「なるほど、野山のようだな」と、竜馬はうなずいてやった。

すべて人というものは艱難のときには一致団結して共にすることができるが、富貴は共にすることができぬ。きっと仲間割れがおこる。

怒っている相手にいっても仕方がないさ

世のことは偶然を期待してはいかん。

志操さえ高ければ、商人のまねをしてもかまわない。むしろ地球を動かしているのは、思想ではなくて経済だ

男は喧嘩をするという大勇猛心をもっておらねば、いかに名論卓説を口にしていても、ひとは小才子としか見てくれぬぞ

丸山は、江戸の吉原、京の島原とならんで日本三大遊里のひとつにかぞえられたところである。

武術の気合というのは、蛇が蛙にのぞむような一種動物的な感作で、一瞬、相手は催眠状態になる。そこを蛇ならば襲い、武術ならば撃つ。

人の運命は九割は自分の不明による罪だ。

事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。

年上の人を相手に猥談をしちゃならん

猥談の節度がかんじんだ、その節度の感覚のある男ならなにをやっても大事を成せる男だ、わしのみるところ西郷は達人だな、と妙なことで西郷をほめた。

人間関係はカラリとしたほうがいい

古来、英雄豪傑とは、老獪と純情のつかいわけのうまい男をいうのだ

2008年5月29日 (木)

モメモメモメモ

竜馬がゆく(一)~(四);司馬遼太郎から

気になったところを以下、モンゴメリしておきます

またのつけねまでみえた。・・・「なにしちょる」・・・「乙女姉さんの御開帳を見ていたんです」

「まだ自分がわかりません。しかし、まあ夢中で日をすごしておれば、いつかはわかるときが来るじゃろ、と自分では思うちょります」

男は、危機に立ってはじめて真価のわかるものだ。

酒は土佐の佐川郷で吟醸される司牡丹である。土佐人ごのみの辛口で、一升半のんでから口中にやっとほのかな甘味を生じ、いよいよ杯がすすむという酒豪用の酒である。

人生流転。生死はもと一つで、単に形を変えたものにすぎない。

銘酒「剣菱」

生死勝敗を忘れ、すべてが空になり、おのれも空に融けきることが剣や禅の極致といわれるが、竜馬はそれに近づいているようである。

およそ我意我執というものがなかった

人の一生には、命題があるべきものだ。

ひとが気にしていることを、おっかぶせるようなやつは、おれはきらいだ

「世に生を得るは事を成すにあり」

「ただし、事をなすにあたっては、人の真似をしちゃいかん」

世の既成概念をやぶる、というのが真の仕事というものである

「・・・生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない。」

(よかった)と思ったが、男子たる者はこれしきの成功で喜悦すべきではないという自己訓練が、勝という男の表情すみずみにまである。

いかに一世を蓋うほどの才知があろうとも。とらわれた人間は愚物でしかない

人間の文明の発展というものに参加すべきだ、そうあれば、三上ヶ岳の燈明のように、その生命は不滅になるであろう

竜馬の考えでは、奇策とは百に一つも用うべきでない。九十九まで正攻法で押し、あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。

「世に生きものというものは、人間も犬も虫もみなおなじ衆生で、上下などはない」

闘る・闘る、と双方同じ気を発すれば気がついたときには斬りあっているさ

人間の動き、働き、の八割までは、そういう気の発作だよ。ああいう場合は、相手のそういう気を抜くしかない

寿命は天にある。人間はそれを天にあずけっぱなしにして、仕事に熱中してゆくだけでいい。

(君子の交りは淡きこと水のごとし、というが)礼記のことばである。その意は、信義のある紳士というものは、いかに親友に対してもさらさらした態度でおり、そのくせ実がふかい。

無料ブログはココログ
2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のトラックバック